不道徳教育の義務化

集合知と我

手のひら返し心傷

なんだか「こっちのアカウントでは楽しげなことを書きます!」って言ったような気もするけど。

 

とりあえず超久しぶりなので現状報告から...。

 

前回の投稿時は「浪人生」だった筈が

無職のひきこもり」と化してしまいました。憐れなり...。

 

どうしてもやりたいこと、学びたいことは最後まで見つからなかったです。

「あっ!こんなことやりたい」「これもいいな〜」なんて思い立ったが数日、全て泡沫の如く弾けて消えちゃいます。

結局幼い頃からぼんやーり頭の中にあった「なんとなーく大学に入学して、なんとなーく就職して、なんとなーく結婚して、なんとなーく死ぬ」は井の中の蛙の空想スケッチであったわけでした。

 

ということで浪人もやめ、単なる家にパラサイトしている人間だったというのが報告。

 

本題。

 

【昔のあなたの考え】思い出せますか?

なんでもいいです。「浮気はダメだと思う」とか「社会のルールには従うべきだ」とか。

それと【今のあなたの考え】を比べてほしいんです。

変わっているところも変わっていないところもあるでしょう。意外と人とそういう話題で話し合うのも楽しかったりします。

 

しかし困ってしまうのが昔と今では考えていることは真逆なのにそれがどちらも正しく思えてしまうとき。

 

僕はそれに悩まされていまして、暗い話になります。

 

「自殺はダメだ」昔はずっとそう思っていました。何がダメなのかは考えてもわからなかったのですが「綺麗な死に方じゃない」「美しくない」が心の中に巣食っていたように思います。

何があっても自殺なんかするもんか!自殺する奴は最後に醜い終わり方をするのかなんて主張していた時期もあったのを覚えています。

 

しかしそれは人生にまだ余裕があったのだと今になって思います。

 

身近な死を感じてゆらぎが生まれました。

僕にとっては命の綱でもあるTwitterのフォロワーが自死を選んでいくのを見て複雑な気持ちになりました。

 

自殺を選んだ人間を「醜い、気持ち悪い」と思う反面、境遇だったり環境を知っているが故に「これで解放されたんだね。よかった」と思うこともありました。

 

現実の苦しみから解放されるなら別に死んでもいいんじゃないか

 

じわりじわりと紙にインクが染み込むようにその思いが生まれ始めていました。

 

そうして暫くするといつしか僕も「死にたい」欲に取り憑かれていました。いつもの「死にたいと思っている自分のことを考えると気持ちがいい」といったものではありません。

いつしか某通販サイトでロープを購入していました。購入した記憶はありません。

結局またいつものようにビビってビビって何も出来ませんでした。

その辺でゴタゴタあったのですが省略。

 

今でも「自殺は醜い死に方」だと思っています。先日誰かが言っていたように「自殺したら負け」です。命に勝ち負けなんて無いですけど、それでも幸せに人生を終えることと比べると圧倒的に幸福度、充実度、その他もろもろで負けています。

でもその一方で「今の苦しみから抜け出せるならそれは幸せことなのでは」という考えもあります。苦しい状況は全て自分のせいで作り出してしまったものではありますが今更嘆いても遅いんですよ。今更責められてももう遅いんですよ。

 

何に対しても頑張ることの出来なかった人間が果たして「生きること」を本気で頑張ることができるのか。

現状はさながら鉄骨渡り、ブレイブメンロードです。

男1人、死にたい欲に足を掴まれながらも「醜い死に方はしたくない」だけでバランスを取っている。

僕は鉄骨を渡り切って人間社会に帰ることが出来るのか。それとも佐原のようにゴール手前で吹き飛ばされて死ぬのか。

 

その辺はまぁその時考えればいいでしょう

 

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これは名取さなのおっぱいマウスパッド。これがあれば生きていける。