不道徳教育の義務化

集合知と我

生きるのが辛くなってきた話

タイトル通り生きるのが辛くなってきた。
怒られて嫌になったわけでもないし、虚無になったわけでもない。
ただ何も起こらない、起こるはずがない生活がこれから死ぬまで続くのかなと思った瞬間に世界から色が喪われた。
これは結構厄介な問題でどんなにポジティブな未来を思い浮かべて見ても怠惰な日々の継続が全てを喰らい尽くしていく。
本来はここで折り合いを付けられて日々の些細な変化だったり新しい出会いだったりに楽しみを感じればいいのだろうが劇的でドラマティックな出来事が起こるようなご時世でもないし。
この鬱屈とした感情をこのコロナ禍の中どれほどの人数が抱えているのかはわからないが吐き出してしまおうと思う。

人と人との繋がりが減少している今、孤独との付き合い方も変わってきた気がする。人にいつでも関わることの出来る孤独とそうでない場合だ。
いつでもどこでも関われた時代はもう終わってしまってそれがいつまで続くのかわからない。喧騒からの休息としての孤独ではなく日常としての孤独と付き合っていくことになる。
コロナ鬱なんて言葉を情報番組などで聞くけれど、それこそ孤独との付き合い方を間違ってしまった人が陥ってそう。根拠はないけれどそう思う。
人は自分が思っている以上にストレスに弱い。
制限をかけられることに弱い。
それを思い知った昨年になったんじゃないかと思う。
ストレス発散の方法を今回は書くわけじゃないのでどうすればいいのかはそれぞれで考えてほしいかも。
在宅勤務によって家から離れることが少なくなった人は出社しなくていい喜びと同時に違和感のようなものを感じているのではないだろうか。
結局、学生だろうと社会人だろうと引きこもりだろうとなにかしていないと落ち着いていられないのだと思う。
僕は引きこもりだけれどもうそろそろ人生に焦りも感じてくる年齢になってきて遅すぎる再起を目指している。でもどうすればいいのか正直わからない。
もしかしたら無意識に能がない事の言い訳にしているのかもしれないけれど鬱々とした生活、社会が今にも壊れてしまいそうで怖い。
不満というか懸念というかよく形容しがたいんだけどインターネットも怖い。人が行きどころのないストレスを他人にぶつけている気がする。昔はこんなのじゃなかったはずなのに。
インターネットリテラシーじゃない別のところ、インターネット自体が生活の一部になっている宇宙人みたいな人が毎日色々なところで暴れている。
そういうのを目にする度に何故か僕がしんどくなるしその人のことを考えてしまう。
これは僕自身がインターネットに向いていないだけなんだろうか。
毎日少しずつ世界が変わっててそれに気が付くのは何年後。
自分をアップデートし続ける必要があって、そうするためには社会の一員になってないといけない。
やはり現状がおかしいせいで全てが狂ってしまっている感じがする。

他人と違う生き方をするのはそれぞれで決めたらいいと思うけれど、普通のことを普通に出来なくなるような生き方はやめておいた方がいいと強く思う。

時間は後ろには進まないし都合よく異世界に転生できたりもしない。

何も考えず敷かれたレールに乗ってそのまま死ぬまで生き方について考えないのが理想。

小さい頃に普通で当たり前だと思っていたことだけど今になってはそれがどれだけ難しいことかもわかるしそれこそが理想だってわかってしまったせいで自分はどう生きたらいいのかわからなくなってしまった。

同じことをし続けて死んでいくのは嫌だ。

本当にそれだけしか頭にない。