だっせえ男
年齢的には大学を卒業する頃になるだろうか。
一度、「サークルクラッシャーの女に人生をめちゃめちゃにしてもらいたい」と思った。
厳密には別にサークルじゃなくてもいい。ネットだのリアルだの構わずに終わってる女に人生を終わらせて欲しかった。
初対面から馴れ馴れしくて、思わせぶりな態度を取ってきて、でも僕はそれに理性を持って対抗しようとして、自分では駆け引きしてたつもりなのに実は全然そんなことなくて、遊ばれてるだけで、結局最後は何も無く友達としてすらの関係も残らずに、人生の大きな瑕疵としてだけは残るようなそんなめちゃくちゃなエピソードが欲しかった。
きっとそれは一生記憶に残る人がいて欲しいっていうのと同時に、自分が不幸であるほどいいと思っているからなのかもしれない。
悲撃のヒロイン症候群…とまでは言えないと思う。自分の内に留めておけるから。
自分が不幸になるために振り回してくる女を捕まえて利用したいだけなのかも。
そう考えてみると自分がいやに傲慢なエゴイストだということもわかってくる。
この思考そのものも自分を下げて逆に自己肯定感を上げるような、そんなつまらないものだと思う。
きっと根っこは中学生の時のまま。
サイコパスを気取っちゃうように、グロテスクなものに耐性があるんだと喧伝してしまうように、だっせえ価値観で生きてきたんだと。
でもたぶんその中には無意識に「お前なんか取るに足らねえ羽虫だよ」、「しょうもない人間だよお前は」って言ってもらいたい気持ちが含まれてるんだと思う。
そんなこんなで僕は今もサークルクラッシャーを望んでいる。
誰か僕の人生をめちゃくちゃにしてくれよ。
頼むよ本当に
身の上話
人に平気で死ぬって言えるやつがほんとに無理で、人を心配させるとかほんとに死ねないとかじゃないただそういう人間が生理的に無理なんだよね。
綺麗じゃない。
生き方が濁ってる人間がすぐ死ぬって言う。
理屈では説明できないような不快感、嫌悪感があって僕は絶対に人に対して死を匂わせたりしないし死ねよなんて言わない。
人間文学的に生きて欲しい。もっと使う言葉を選んで綺麗な人間を目指して欲しい。
言葉を知ったら「死ぬ」なんて簡単に言わなくなると思う。自分の悩んでることがなんなのか、何に不満を持っているのかを言語が出来るはずだから。
言語化できない子を救ってあげたいけど巻き込まれたら自分までダメになるから難しい。
自分が哲学齧ってもっとダメ人間になったからそれはおすすめ出来ないしやっぱり文章いっぱい読んでもらうしかないんだと思う。
それでも自分のことがわからないんだったらその程度だったってことだよ。
やっぱり自分のことをわかってる人って魅力的だし接しやすいからそういう人になって欲しい。
愚痴みたいになっちゃったけどこれが今の僕の願いだよ。
本当に最近いっぱいいっぱいでしんどくてどうにかなっちゃいそうなんだけど頑張って生きています。
note
最近はこっちで書いています
早起きの妙
早起きしています。
夜早く寝たら早く起きました。
GW初日に夜更かししただけで生活リズムがめちゃくちゃになっててめちゃくちゃ焦る。学生時代の体力はもう残ってない気がする。
今年で23歳です。最近書いてたものを読んでもわかるんですけど物事を筋道立てて考えられなくなってる。
散文的と言えば聞こえがいい。現代の清少納言
あったこと考えたことをとりあえず書きなぐっては見るんだけどそこに見いだせるものがない気がする。
夏休みの自由研究:無職の観察 みたいな。
昔はもっと色んなことに悩んで苦しんで自分なりの答えを見つけていたはずなのに、最近は考えることもやめてなすがままになっている。
これは現実に抗う気力すら無くなっているのか則天去私なのか。後者だと夏目漱石みたいでカッコイイ
自分は自分の人生哲学みたいなものを素晴らしいものだと思っているんだけど世間一般的には怠けているらしい。風当たりが悪いのに迎合もせず続けているのが悪いんだけれども。
物事を続ける根気もないんだけど何より物事を始める才がないことに今更気付いた。
今の暮らしで満足してしまっていてこれ以上を望まないというかこれ以下を望まないというか。正しく縁側で庭を眺めているだけの老人のように生活したいと思い続けているのでいくら金が手に入ろうが変わらない生活をすると思う。現に庭を眺めながら一日を終えることなんて多々あるし。
他者を傷つけてでしか生きられないんだけど、他者を傷つけずに生きる方法に興味がある。
その他者を傷つけない世界に何が残っているのかとても気になるしそこで自分が何をしているのかも気になる。
社会に所属できていないのに人間社会の行く末がとても気になる。インターネットの地獄が顕現しないかなと思って毎日楽しみにしてるんだけど、流石に人ひとり、現実社会に持ち込むようなヘマは起こさないらしい。結局どこまで行っても日本人気質なんだろう。
もちろん僕が「やってもいいぞボタン」を渡されたところでやらないだろうしこれが正常なんだろうなと思う。正常な異常ってやつ
精神疾患罹患者に対して助けたいと思う気持ち、これが中々厄介で自分の中で持て余している。
学生時代にこれを正しく理解していれば医者を目指していたのかもしれないけれど当の自分は単なる善意の気持ちだと思っていた。
このどうにも出来ないのに湧いてくる善意っていうものほど邪魔なものなどなくて人をダメにするひとつの要因っぽい。いっそのこと「全部自分のせいだろ」と切り捨てられる最低の人間に育っていたら良かったとまで思う。中途半端な同情で中途半端な手助けをしてさらに最悪な方向に持っていく。ただの邪魔者だ。
なりたい「自分の意図していない言動で他人を救う人間」とは真逆すぎて嫌になる。
この歳にありがちなことなのかもしれないけれど、もう勉強しておけばよかったと後悔している。
この世界、勉強して知識を詰め込んで世界を広げないと見えている世界があまりにも狭すぎるし行動選択の幅がない。生まれ変わったら芸術の才を持たせて欲しい。それでも勉強することは必要だと思うんだけど。
いちばん怖いのは他人から見て何かを極めた人間になっても当の本人に自覚がなく今と同じことを考えているかもしれないってこと。
その場合何度生まれ変わってもこの世界に生まれ落ちた本懐なんてものを見つけられないまま死に続けるんだろう。なんて惨い、慈悲のない世界なんだろう。神様なんていないのかもしれない。
そんな世界でそれなりに生きていくことが一番幸せなのはわかっているつもりなんだけど心がそれを許してくれないから自分の思考が憎い。
それでも笑顔で毎日生きて生きましょう。
生きるのが辛くなってきた話
タイトル通り生きるのが辛くなってきた。
怒られて嫌になったわけでもないし、虚無になったわけでもない。
ただ何も起こらない、起こるはずがない生活がこれから死ぬまで続くのかなと思った瞬間に世界から色が喪われた。
これは結構厄介な問題でどんなにポジティブな未来を思い浮かべて見ても怠惰な日々の継続が全てを喰らい尽くしていく。
本来はここで折り合いを付けられて日々の些細な変化だったり新しい出会いだったりに楽しみを感じればいいのだろうが劇的でドラマティックな出来事が起こるようなご時世でもないし。
この鬱屈とした感情をこのコロナ禍の中どれほどの人数が抱えているのかはわからないが吐き出してしまおうと思う。
人と人との繋がりが減少している今、孤独との付き合い方も変わってきた気がする。人にいつでも関わることの出来る孤独とそうでない場合だ。
いつでもどこでも関われた時代はもう終わってしまってそれがいつまで続くのかわからない。喧騒からの休息としての孤独ではなく日常としての孤独と付き合っていくことになる。
コロナ鬱なんて言葉を情報番組などで聞くけれど、それこそ孤独との付き合い方を間違ってしまった人が陥ってそう。根拠はないけれどそう思う。
人は自分が思っている以上にストレスに弱い。
制限をかけられることに弱い。
それを思い知った昨年になったんじゃないかと思う。
ストレス発散の方法を今回は書くわけじゃないのでどうすればいいのかはそれぞれで考えてほしいかも。
在宅勤務によって家から離れることが少なくなった人は出社しなくていい喜びと同時に違和感のようなものを感じているのではないだろうか。
結局、学生だろうと社会人だろうと引きこもりだろうとなにかしていないと落ち着いていられないのだと思う。
僕は引きこもりだけれどもうそろそろ人生に焦りも感じてくる年齢になってきて遅すぎる再起を目指している。でもどうすればいいのか正直わからない。
もしかしたら無意識に能がない事の言い訳にしているのかもしれないけれど鬱々とした生活、社会が今にも壊れてしまいそうで怖い。
不満というか懸念というかよく形容しがたいんだけどインターネットも怖い。人が行きどころのないストレスを他人にぶつけている気がする。昔はこんなのじゃなかったはずなのに。
インターネットリテラシーじゃない別のところ、インターネット自体が生活の一部になっている宇宙人みたいな人が毎日色々なところで暴れている。
そういうのを目にする度に何故か僕がしんどくなるしその人のことを考えてしまう。
これは僕自身がインターネットに向いていないだけなんだろうか。
毎日少しずつ世界が変わっててそれに気が付くのは何年後。
自分をアップデートし続ける必要があって、そうするためには社会の一員になってないといけない。
やはり現状がおかしいせいで全てが狂ってしまっている感じがする。
他人と違う生き方をするのはそれぞれで決めたらいいと思うけれど、普通のことを普通に出来なくなるような生き方はやめておいた方がいいと強く思う。
時間は後ろには進まないし都合よく異世界に転生できたりもしない。
何も考えず敷かれたレールに乗ってそのまま死ぬまで生き方について考えないのが理想。
小さい頃に普通で当たり前だと思っていたことだけど今になってはそれがどれだけ難しいことかもわかるしそれこそが理想だってわかってしまったせいで自分はどう生きたらいいのかわからなくなってしまった。
同じことをし続けて死んでいくのは嫌だ。
本当にそれだけしか頭にない。
Irony
皆さんあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。よろしくしましょう。
近況
家に引きこもって4年目に入りました。
毎日たのしくハッピーに過ごしています。
楽しくハッピーに過ごせているんでしょうか。わからなくなりました。
今年に入っていいことが沢山ありました。
・
なのに何故今僕は疲れているんでしょうか。わかりません。
ニコニコしています。ニコニコしていますが楽しい気持ちにならないです。
いつもこうです。何が原因なんでしょうか。
インターネットですら人間関係で疲れているんでしょうか。そうなってしまうともうどこで生きていけばいいのかわかりません。生きていなくてもいいのかもしれないですが生き意地だけは汚いので泥水を啜りながら生きようと思います。
「人に期待するな」と誰かは言いました。でもそれは絶対に違って期待してしまうのが人間なのです。
人は傲慢なので時に人ならざる超越者の目線でものを言います。
理想、目標としては適しているのですが精神がやられてしまっている時には憎悪の対象になります。
ムカつくんですよね色々と。
幸い自分には考える頭というものがあるので頑張って最適解を探します。
最近はSNSに不快な人間が増えました。
声の大きい人は目立ちますがそれでも多すぎると思います。こんな人間が社会に溶け込んで笑いながら幸せに過ごしているんだなと想像すると僕はもう怖くて外に出られません。
あまりにも人の心がわからなかったり気持ちがわからなかったりする人間がたくさんいて怖いです。なんで生きているんでしょうアレ。
他人の言動にストレスを溜めてしまうので本当はインターネットに向いてないのかもしれません。
出来るなら早くいい人を見つけて幸せに生きていきたいです。
今年のおみくじは大吉でした。おわり